使徒13:33の「生んだ」という言葉について

2014年 6月 27日

Q:使徒13:33の「生んだ」という言葉について、このような質問がありました。よろしくお願いいたします

ローマ1:3b~4「御子は肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」

中川先生はこのみ言葉について、復活のところでは「生まれる」ではなく「示された(宣言された)」と書かれていることを強調されていました。その部分を聞いた時、日頃疑問に思っていた次のみ言葉を思い出しました。イエス様の復活に関連して、「生んだ」という詩篇の預言が引用されているところです。

使徒13:33「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第2篇に『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。」

へブル1:5a「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』」

復活は神様が御子を「生んだ」ということなのだととれます。イエス様は復活の前も、さらに受肉される前からも御子である方なのに、「生んだ」と言われているので、どういうことなのだろうと不思議に思っています。

これは、イエス様のお体に関して、朽ちない栄光の体によみがえられたこと、それが父なる神と御子の新たな始まり、だから比喩的に「生んだ」と言われているのかと想像もしますが、よくわからないので、教えてください。

 

A:お答えします。

(1)詩2:7の意味

「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』」

①この詩篇は、ダビデが王座に着座した時に歌われたものです。

②この聖句の背景に、ダビデ契約があります。

「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる」(2サム7:14)

③ダビデ契約では、イスラエルの正当な王は、神と親子関係に置かれます。

④ダビデの戴冠式の日に、神はダビデの父親となってくださいました。

⑤「きょう、わたしがあなたを生んだ」とは、神とダビデの親子関係を表現する比ゆ的言葉です。つまり、その日から神とダビデの親子関係が始まったという意味です。

 

(2)使徒13:33の意味

「神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第2篇に『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです」

①この聖句でパウロは、詩2:7を引用しながら、イエスこそ究極的な「神の子」であることを証明しています。

②問題は、いつイエスが「神の子」としての証明を得たかという点です。

③日本語訳は、新改訳、新共同訳、口語訳のすべてが、これを復活の時と解釈しています。

④「よみがえらせ」と訳されたギリシア語は、アニステイミという言葉です。これには、「上に上げる」「立たせる」などの意味があります。つまり、復活という訳以外に、「昇天(天に上げ)」と訳してもよいということです。

⑤事実、詩2:7はダビデの戴冠の時の詩ですから、使13:33もまた、復活ではなく、昇天を意味する聖句だと考えた方がよいのです。

⑥復活に関しては、その次の聖句(使13:34)に出てきますので、なおさらそう言えます。

⑦以上のことから、詩2:7の預言(約束)は、イエスの昇天によって成就を見たということが分かります。

 

(3)へブル1:5aの意味

「神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』」

①この聖句も、イエスだけが究極的な意味で「神の子」であることを教えています。

②イエスが「神の子」であることは、どの時点で証明されたのでしょうか。それは、ヘブ1:3に書かれています。イエスが父なる神の右の座に着かれた時です。この聖句もまた、復活ではなく、昇天を指し示しています。

③「きょう、わたしがあなたを生んだ」というのは、比ゆ的言葉ですから、ここからイエスの永遠性を否定するような教えを作り上げてはなりません。

 

Posted by 中川健一 | 0 コメント

 

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