聖餐式について

2012年 6月 30日

Q 1コリ11:27に、「もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」とあります。教会に苦手な人がいて嫌悪感があり、その人のために祈り、努力はするものの、思うようにはいきません。そのような場合に聖餐を受けると 家族に病人が増えますか。

 

A 聖餐式と洗礼は、ともに聖礼典と呼ばれる儀式です。聖礼典と認められるための3つの条件は、①キリストによって命令されているか、②使徒の働きの中で実際に実行されているか、③書簡の中で詳しく解説されているか、です。聖餐式は以上の3つの条件を満たしています。

では、聖餐式の目的とはなんでしょうか。4つの目的があります。(1)キリストを記念すること。聖餐式は、キリストのいのち(パン)、死(ぶどう酒)、復活と今ある臨在(式そのもの)を記念し、確認するための恵みの方法です。(2)キリストの死を宣言すること。私たちは、聖餐式を通して、キリストが私たちの罪のために死んでくださったことを宣言します。(3)キリストの再臨を宣言すること。私たちは、キリストの再臨まで、聖餐式を継続します(マタ26:29、1コリ11:26参照)。(4)キリストとの交わり、信者との交わりの時(1コリ10:21参照)。キリストを記念する式の中に、キリストの臨在があります。その臨在の中で、信者同志の愛の交わりが可能になります。

聖餐式に参加するためには、自己吟味が必要となります。それを教えているのが、1コリ11:27~28です。自己吟味の内容としては、以下のようなものが考えられます。①知っている限りの罪の告白、②パンとぶどう酒が象徴していることの確認、③自らのクリスチャン生活の確認、④主がしてくださったことへの感謝と畏怖の念。聖書は、自己吟味をしないことの危険性について警告しています。パウロは、「そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます」(1コリ11:30)とさえ言っています。しかしこの警告は、私たちに恐れを与るためのものではありません。もし完璧でなければ聖餐に与ることができないとするなら、誰ひとりそれに与れる人はいないでしょう。主にある兄弟を愛せないというのは、大きな問題です。しかし、問題が解決してからでないと聖餐に与ることができないと考えるなら、それは主の恵みを拒否したことになります。主にある兄弟を愛せないという現状を心から悲しく思い、主イエスの助けを求める気持ちで聖餐に与るのがよいと思います。真実な願いを言い表すなら、必ず主の助けが与えられます。自己吟味をして聖餐式を控えるのではなく、自己吟味をして聖餐式に与るのが、主の御心です。

Posted by 中川健一 | 2 コメント

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コメント

  • 友人がある事件で、殺されました。クリスチャンでは無かったのですが、彼女たちは、天国に行けるのでしょうか?

    投稿者: 田中久美子, 09/03/2016 6:41pm (1 年 前)

  • 私は聖餐式を受けたいのですが、聖霊家がしたかもしれない。おしえてくどさい。

    投稿者: 谷 香澄, 22/07/2015 2:54am (2 年 前)

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