Clay【クレイ】きょうの聖書箇所
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ラビたちの教えに対する反論

#14 血の犠牲の代わりになるものは、あるのか?

トーラーの中で罪の贖いについて教える箇所を読めば、その中心テーマが血の犠牲であることは明らかである。ところが、現代のラビ達の中には、それとは異なる意見を述べる人たちがいる。彼らは、モーセ五書の時代においても、小麦粉と金銭を献げれば血の犠牲がなくても罪の贖いが可能だったと教える。彼らがそう教える理由は、メシアの贖罪死がなくても、罪の贖いを得る方法があると主張するためである。

例えば、ラビ・アソル(訳注 現代のラビ)は、こう語っている。

「罪の赦しのために、血の犠牲は必ずしも必要ではない。血を流さなくても、悔い改めて小麦粉を献げれば、罪が赦される」。

彼が根拠としている聖句は、レビ記511である。

「もしその人が山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽さえも手に入れることができなければ、その犯した罪のためのささげ物として、十分の一エパの小麦粉を罪のためのいけにえとして持って来なさい。その人はその上に油を加えたり、その上に乳香を添えたりしてはならない。これは罪のためのいけにえであるから」

 

小麦粉で罪の贖いは可能か?

この聖句を文脈を無視して表面的に読めば、子羊、子山羊、家鳩のひな、山鳩のいずれをも経済的理由で買えないなら、それらの代わりに小麦粉を献げれば良いという解釈が成り立つ。では、どうして小麦粉が罪のためのいけにえの代用となり得るのか。その答えは、次の1213節に記されている(ラビ・アソルが意図的に引用しなかった聖句)

「彼はそれを祭司のところに持って行きなさい。祭司はそのひとつかみを記念の部分としてそれから取り出し、祭壇の上で、主への火によるささげ物といっしょにそれを焼いて煙にしなさい。これは罪のためのいけにえである。祭司はその人のために、その人が犯したこれらの一つの罪の贖いをしなさい。 その人は赦される。その残りは、穀物のささげ物と同じく、祭司のものとなる」

この聖句によれば、祭司は小麦粉の中から一掴みを記念の部分として手に取り、主への食物の献げ物が置かれた祭壇の上で燃やす(神のために燃えている火の上で燃やすという意味) 。それから祭司は、この貧しい人のために贖いをする。簡単に言えば、祭司は神とイスラエルの民の間の仲介役として、既に祭壇の上に置かれたいけにえの血とこの人の小麦粉を混ぜる。この方法によって、犠牲の動物を買えない人のために贖いをすることが可能となる。旧約聖書の中には、小麦粉だけで罪の贖いが出来ると教える聖句も、肉のいのちは小麦粉にあると教える聖句も無いが、貧しい人たちはこの方法で贖いの力を享受することが出来た。なぜなら、祭壇の上には既に犠牲の血があって、そこに小麦粉を混ぜれば、小麦粉が血を吸収するからである。小麦粉は、血を吸収した状態で神に献げられた。旧約聖書の中には、小麦粉だけで罪の贖いをする力があると示す聖句は一つとして無い。ラビ・アソルは、意図的にこの聖句の文脈を無視して語っているのである。

 

お金で罪の贖いは出来るか?

ラビ・アソルは、出エジプト記30:1516も引用している。

「あなたがた自身を贖うために、主に奉納物を納めるとき、富んだ者も半シェケルより多く払ってはならず、貧しい者もそれより少なく払ってはならない。イスラエル人から、贖いの銀を受け取ったなら、それは会見の天幕の用に当てる。これは、あなたがた自身の贖いのために、主の前で、イスラエル人のための記念となる」

ラビ・アソルは、この聖句は罪の贖いのために、いけにえの代わりに金銭を献げても良いと教えていると主張する。しかし、この聖句はそういうことを教えているのだろうか。ラビ・アソルは、この聖句の文脈もユダヤ教の賢人達の見解も完全に無視している。この聖句に「罪」という言葉は一回も出てこない。ユダヤ教の神学者たちも、この聖句は罪の贖いとは無関係であることを認めている。この聖句は、神の守りを求める為の代価についての教えであることは、既に証明済みである。

旧約聖書の中で「贖い金」という言葉が出てくる箇所はここだけである。この箇所の文脈は、罪や赦しではなく、人口調査である。

「あなたがイスラエル人の登録のため、人口調査をするとき、その登録にあたり、各人は自分自身の贖い金を主に納めなければならない。これは、彼らの登録によって、彼らにわざわいが起こらないためである」(出エジ30:12)

2サムエル24章で、ダビデ王が自らの思いで国政調査を行なった時、大きな災いが起こったことが思い出される。贖い金は、神の守りを提供して頂くためのものであり、罪の赦しとは無関係である。

出エジプト記30:15のラシ(訳注:中世の高名なラビ)による解釈は、「『あなたがた自身を贖う』理由は、人口調査のゆえにあなたがたが災いに襲われることがないようにするためである」というものである。つまり、この聖句の「贖い」という言葉は、罪のための贖いとは無関係なのだ。ラシの解釈が編纂された『Siftei Chachamim』によれば、「この聖句の贖いは、律法の他の箇所とは意味が異なっていて、罪のための贖いではない」と説明されている。同様に、『Gur Aryeh(訳注:律法の註解書)でも、「お金による3種類の献げ物に関することで、その内の一つは動物のいけにえの代金である。この事によって贖いをする(代価を払う)対象は、いけにえであることが分かる」と記されている。

 

贖い金は、罪の贖いと同じものではない

ご理解いただけただろうか。贖い金自体は、罪の赦しとは無関係のものだ。しかし、ラシ自身が語っているように、贖い金は神殿の収入となり、祭司の奉仕を経済的に支えるものとなった。さらに重要なのは、それが民のためのいけにえの購入代金に充てられたということだ。罪の贖いをするためにいけにえが必要となるので、神殿に集った贖い金が、その購入費用に当てられたというわけだ。

ユダヤ教の賢人達と同様に、ユダヤ教の神学者たちも同じ見解を述べている。例えば、ラビ・ヘルツ(訳注:1946年没、ユダヤ教神学者、英国のラビ長)は、自著の註解書の出エジプト記30章の箇所で、「『あなたがた自身を贖う』とは、『身代金』という言葉の意味を拡大させた表現だ」。「故意ではなく過失により殺人を犯し、有罪となった者が支払ったお金のことだ」と説明している。

ユダヤ教の聖書学者ヤコブ・ミルグロム(訳注:現代のラビ、2010年没)は、民数記31章をこのように釈義している。「神の視点に立てば、贖い金は、人口調査のゆえに民に災いが起きることを防止するための必要な措置である」

ラシの孫であるラシュバムも、同様のことを800年以上前に語っている。このように、ユダヤ教では、賢人達も神学者達も、贖い金そのものが罪の贖いをするのではなく、それは神の守りを得るための身代金だと理解している。

しかし、ラビ・アソルのようなタイプの現代のラビ達は、神のことばと律法を曲解する。それは、私たちを混乱させて、イエスの贖罪の犠牲が必要であることを見せなくさせるためである。メシアの犠牲は、お金でも小麦粉でも値積もり出来ないほど尊く、メシアの血は、何をもってしても買えないほど高価なものである。しかし、良い知らせがある。実は、これが私達に無償で与えられているのである。それゆえ、私達は自らの罪の赦しと罪の贖いを享受することが出来る。なんと感謝なことか。

 

月刊紙:2019年4月号掲載

松村慶子 訳  中川健一 監訳

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