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ラビたちの教えに対する反論

#15 ラビがイエスを拒否する本当の理由とは、何か?

人間とは自らの誤りを認めたくない存在で、特に自分が罪人であると認めることに抵抗を感じる。自分は特別で、かけがえのない重要な人物だと思いたいのだ。人間の性質には支配欲と権力欲がある。だから国家間で戦争をしたり、同じ家族の一員同士が絶交したりする。

 

当然二千年前もこの状況はほとんど変わらず、宗教的偽善と腐敗が当時の社会にも蔓延していた。権力欲と支配欲は、宗教が絡んでくると破壊的なものとなり、高慢と腐敗が伴うようになる。当時のラビ達が イエスと弟子達は偶像礼拝をしていると非難したのは、民衆がイエスを信じると、自分達の権力と地位を全て失うことになると恐れたからではないだろうか。

 

様々な歴史研究家により、第二神殿時代のイスラエルの指導者達の腐敗を詳細に記した約20もの文献が発見されている。死海写本、ヨセフスによる記録、ラビ的文書などがそれである。指導者たちの腐敗を記した文書の良い例が、バビロニアタルムードの中のトラクテイト・ペサヒム57だ。その文書は、イスラエルの地で祭司階級の人々が腐敗していると強く批判している。

 

旧約聖書時代にも、神はイスラエルの宗教的指導者をしばしば叱責しておられた。賢人と言われる人達も、権力欲と支配欲の影響を免れることはなかった。例えば、タルムードの中のトラクテイト・エルビンにこう記してある。「誰でも著者(ラビ)に従わない者は、死に値する。」ラビは、自分の言う事に逆らう者には死刑を求めた。このような発言をする動機は、権力欲と支配欲である。しかし、イエスに関しては、律法に反することを行ったり、語ったり、教えたりすることは一度もなかった。

イエスは、律法についてこう言われた。

「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。」(マタイ5:17)

 

その一方で、イエスは当時のラビ達によって編み出され、尊ばれていた「口伝律法」と呼ばれる伝統を完全に拒否された。イエスは、伝統は宗教を生み出し、宗教は人間を神から遠ざけ、どうでもいい事(無意味な行い)に関心を向けさせるということを知っておられた。これを聞いて驚かれるかもしれないが、タルムードにはズッキーニの植え方に関する規定が3,000もある。しかも その後にズッキーニの調理方法と食べ方の規定が続く。イエスは、イスラエルの宗教的指導者たちが本質から外れたことに固執し、神の心を見失っていることに気づいておられた。また、彼らが編み出している伝統が聖書に基づいたものではなく、民を支配したいという欲求と、支配を失うことへの恐怖心に基づくものであることを知っておられた。言い換えると、彼らは宗教的権力で民を服従させていたのである。

 

宗教によって私達が忘れてしまったことを、イエスは思い出させて下さった。神は心をご覧になるお方だ。祈祷書を読む時に取る姿勢や経札の紐の腕への巻き付け方などは、人間の心に感銘を与えることがあっても、神の心には響かない。

 

イエスは、当時の宗教的な人々を観察して、外側は優雅な衣をまとっているが、その心は腐っていて神から遠く離れていると語り、「白く塗った墓」のようだと言われた。彼らの関心事は、地位と権力と支配とお金だけだった。この問題に関しては今も昔も変わらない。それは新聞を読んでみれば、わかることだ。

 

ここで少し過去のことは忘れて、仮に今の時代にメシアが現れたとしよう。このメシアが、現代イスラエルの指導者である大統領や首相さらに国会議員の一人一人に、各人のこれまでに犯した罪と欺きと犯罪のリスト―国民に対する罪と神に対する罪―を突き付けたら、どういう展開になるだろうか。このメシアに対して、彼らはどんな反応を示すだろうか。「自分達の誤りを指摘して下さってありがとう」と、メシアが来られたことに感謝し喜ぶだろうか。自分達の生き方を変えることに直ちに同意するだろうか。多分そうはならないだろう。恐らく彼らは、自分達の名誉を守ろうとして、国民にこう告げるだろう。「彼を信じてはいけない!嘘つきで、憎しみを煽る人物だ。こんな人がユダヤ人であるはずがない。私達の社会の一員ではない。彼を取り除け!」

 

イエスの時代の指導者達は、まさに、このような反応を示した。ただし当時は、全ての権力を握っていたのは政治家ではなく、宗教的指導者だった。彼らは、イエスの登場によって、民に対する自分達の権威を失う危険性が出てきたのを好ましくないと考えた。シナゴーグやサンヘドリン(訳注 ユダヤ人の最高法院)での名誉ある地位や、人々から集めていた敬意や評価を失うのではないかと気掛かりだった。彼らは、これまで享受してきた贅沢で快適な生活を手放したくなかった。だから人々をイエスに敵対させようと決めて、メシアを拒否したのだ。

 

詩篇118:22で、ダビデ王はこう語った。

「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。」

イエス時代の少し前に(訳注:紀元前2世紀から)、クムランでの生活を始めたエッセネ派という古代ユダヤ人共同体では、この聖句をメシア預言だと解釈していた。彼らは、家を建てる者たち、即ちイスラエルの民が、メシアを拒否するだろうと解釈していた。ダビデがこの詩を詠んでから数百年後、使徒ペテロは新約聖書の中で、この聖句について全く同じ解釈をして、これはイエスについての預言だと語った。

 

このような訳で、今日に至るまで、イエスはユダヤ人のメシアであるか否かと問うこと自体、価値が無い問いかけだと見なされてきた。イエスについてラビが記すことは、偏見に基づいた内容であり、ユダヤ人が新約聖書を読むことなど許可すべきではないとの前提に立ったものだ。このような偏見に束縛されている為に、宗教的指導者以外のユダヤ人も、イエスはメシアではないという同じ結論を出してしまうことが多い。盲人が盲人を手引きするようなもので、道の途中に深い穴があれば、二人とも同じ穴に落ちてしまう。

 

ラビは、あなたにイエスのことを知って欲しくないのだ。全世界で最も有名なこのユダヤ人に関する真実は、ユダヤ教の中では最大の秘密である。過去二千年間、ラビ達はイエスに関する真実を隠し通すことに細心の注意を払ってきたのだ。

 

月刊紙:2019年5月号掲載

松村慶子 訳  中川健一 監訳

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