
#16 メシアニックジューはカルト集団か?
アシュドデ市のラビ長は、私達メシアニックジューのことをヒトラーより悪い連中だと言う。ラビ・アムノン・...
イェシュア。これは、もう一つの別の宗教でも、一連の命令でもない。事実、彼は宗教という概念そのものと戦ったのだ。
福音の物語は、トーラー(訳注:モーセの五書)から始まる。最初に神は、人間に自由意志を与えた。この特権は、巨大な責任を伴うものだった。選びの結果が、広範囲に及ぶからだ。完璧な決断をするためには、自分が完璧でなければならない。ところが、私たちは完璧からほど遠い。私たちは内なる葛藤を経て、決断する。その葛藤とは、他者を愛し善を行うべきか、あるいは、自己中心的に自分にとって快感となるものを追い求めるべきか、という葛藤である。ちなみに、聖書は、他者を押しのけることを「罪」と呼ぶ。
内なる葛藤は、私たち全員が持っている遺伝病のようなものだ。もし私たち全員が、他者のニーズを第一に考えたとしたら、今の世界はどう変わるか考えて欲しい。しかし、他者を完璧に愛し、思いやることができる人は誰もいない。これこそが、私たちが神と断絶していることを示す証拠である。神は完璧であり、完璧な基準を持っておられるが、私たちは、それからほど遠い状態にある。ささいな言い争いが、憎しみと離婚に至る。宗教間の対抗意識が、おぞましい戦争につながる。汚染が、自然災害と重病を生み出す。このようなことはすべて、私たちの悪い選び(罪)の結果である。私たちは、何世代にも渡って罪をくり返してきた。
心に問題があるとするなら、その解決が外から与えられることはない。ミサイルや武器がある日突然、全て消えてなくなったとしても、人間は棒や石を手に取って戦うだろう。問題の源が、私たちの心にあるからだ。宗教では、心の問題を解決することは出来ない。宗教は、戦争を始める方法と豪華絢爛で巨大な礼拝の場所を造る方法しか心得ていない。そして礼拝所では、貧しい者は忘れ去られている。宗教が提供する解決策とは、次のようなものだ。死んだ動物の皮で作られた腕に巻く染め物の細長い紐。肉と乳を分けた食事。ラビを礼拝し、祭司たちの手にキスをすること。ところが、新約聖書でイェシュアは、規範や律法では、心を直すことはできないと教えておられる。
宗教の助けを得て心を直そうとするのは、墓をペンキや花で飾り立てるようなものだ。外側は美しく見えても、墓の中ではあらゆるものが腐っている。
ブレーズ・パスカル(17 世紀フランスの哲学者、数学者、物理学者)は、人の心の中には、神が造られた空洞があると書き記した。宗教をはじめ、この世の何をもってしても、心の空洞を埋めることは出来ない。宗教は、自分の努力によって神に近づく方法を教えるが、神は、「そうではない。わたしが降りて行って、あなた方の一人になろう」と語っておられる。神の顕現を表わす言葉の中で、最も有名なものは「メシア」である。
・ イザヤは、この方の誕生は、「しるし」となるような超自然的なものだと預言した。
・ ミカは、この方は永遠から来られ、ベツレヘムで生まれると預言した。
・ モーセは、メシアは自分よりも優れた指導者であると予告した。
・ ダビデは、この方は完璧であると表現した。
・ ダニエルは、この方は第二神殿が破壊される前に来て、死なれると預言した。
・ イザヤは、この方の国民はこの方を拒否し、この方は多くの苦しみを受けるが、この方の死によって、罪人である私たちが 神との正しい関係を回復すると予告した。
・ ダビデ王とソロモン王は、この方は人間のかたちを取ってこの世に来られる神の御子だと表現した。
・ エレミヤは、新しい契約が私たちの心に書き記され、問題の根本原因にようやく対処できるようになると預言した。
新約聖書には、これらの預言が歴史上最も有名なイスラエル人であるイェシュアにおいて成就したことが記録されている。ナザレのイェシュアは、完璧な生き方のお手本を残された。それは、倫理道徳的な基準の高さだけでなく、恵みと憐みの心、赦しと愛に満ちた生き方である。この方は、私たちが受けるべき罰を身代わりに受け、ご自身を犠牲にしてくださった。
しかし、この物語はここで終わらない。メシアは生き返り、誰でもこの方を信じるなら、永遠のいのちを得ることが出来ると約束されたのだ。この方は、霊において私たちの内に住まわれ、石の心を砕き、私たちを新しく造られた者にしてくださる。これが罪という病気との戦いに勝つ方法であり、神の国へのアクセス権を得る方法である。
この方は、将軍や王になったことはなく、一篇の詩も書かず、セレブ(有名人)になったこともなかったが、 2000 年経った今も、多くの人たちから人生の理想的なお手本と見なされている。この方は、歴史上のいかなる人物よりも多大な影響を、絵画、詩、本、法律などの創作に与えてきた。
ユダヤ人としてのイェシュアのメッセージは、革命的だった。それは、「〇〇をせよ」、「〇〇をしてはならない」といった宗教的なメッセージではなかった。この方は、律法ではなく、神の愛を語った。この方は、愛を実践し、罪人たちの身代わりとして死なれた。
宗教は私たちを神から遠ざけることしか出来ない。人々の間で戦争を起こし、憎しみを生み出すだけである。私たちの民族に対して、ある種のクリスチャンたちが行った蛮行も、宗教的行為の枠を超えるものではなかった。
宗教がやりなさいと命じたことを、 イェシュアは既に成し遂げられた。
宗教が禁止することを、イェシュアは許可してくださる。
宗教は盲目を作り出すが、イェシュアは目を開いてくださる。
ユダヤ人として、私たちはイェシュアを他の思索家たちと同列に扱うことなど、とても出来ない。この方は、歴史上、最も影響力を持っている方である。この方は、私たちの人生において成してくださったことを、他の人々の人生においても成してくださるのだ。私たちは、先ず自分が完璧ではない(罪人である)ことを認め、イェシュアにあって罪の赦しと永遠のいのちをいただいた。あなたにお願いしたい。これからは、他の人(権威ある人、教師、ラビなど)に、自分に代わって考えてもらうことは止めにしよう。この人たちは、あなたの手を引いてあげたいと思ったとしても、天国にはいないだろうから。イェシュアについては、自分で調べ、読み、学んでほしい。
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